書籍紹介―多層のイメージの中の生々しさ 山田耕司さん「不純」

現代アーティスト山口晃さんのスタイリッシュな表紙が目を引きます。

 

目次をみても、

 

ボタンA

身から出たサービス

目隠しは本当に要らないんだな

 

など、トリッキーな印象です。

 

 

挿す肉をゆびと思はば夏蜜柑

肩に乗るだれかの顎や豊の秋

いきんでも羽根は出ぬなり潮干狩

 

もちろん、ただの面白さだけではなくて、生々しい印象が強く残ります。

 

 

いろいろの死んで秋なり白湯に色

名月や背をなぞりゆく人の鼻

糖分は足らぬが初蝶なればまあ

 

 

白湯、名月、初蝶。オーセンティックなワードチョイスと組み合わせる生々しさ。「いろいろの」などど命を雑にまとめてしまうラフさと、白湯に色を見てしまう繊細な描写。

今を生きる、すごくリアルな感触と、伝統的なイメージやビジョンの中をひょこひょこと散歩するような楽しさを感じます。

 

おっぱいに左右がありて次は赤坂

文鳥や用もなく見る野菜室

暗きよりセロリの出たり乳母車

 

用もなく見る野菜室。セロリ、という妙に生々しい感触。

 

 

春それは麦わらを挿す穴ではない

向日葵よ目隠しは本当に要らないんだな

水澄めり君なら月見うどんだらう

 

 

麦わらを挿す穴、向日葵の目隠しなど、抽象的で説明がなされない分、すごくゆるい印象で、等身大のリアリティのようなものを感じます。

何でもない時に、君は月見うどんを頼むだろう・・・と、想像できてしまう人が、身近に何人いるでしょうか。

 

奇をてらったようで、変な組み合わせの様で、実は核心を突いてしまうような何層にも感じ方の広がる魅力的な句集です。

踏み入れたら戻れない、奥深くの世界へー北大路翼さん『生き抜くための俳句塾』

北大路翼さん、話題の俳句入門書です!

奇を衒ったように見える表紙ですが、むしろ、王道を行く俳句論、芸術論の本ではないかと思います。

はじめにーより

「「え?なに?俳句?俳句って年寄りの趣味でしょ。難しくてわかんなーい」

馬鹿野郎!!

俳句は俺が知る限り一番ヤバイ「遊び」だ。」

とあります。

「心を取り戻せ」

俳句の入門書に、「感じたことをそのまま写し取りましょう」と記載されている事に対しては、

「お前らは感動の仕方がわからないんだ」と、喝破。

「俳句は大人の遊びだ」「俺は酒、博打、女の順に覚えた」

など、国語の教科書的な文学のイメージからしたら、無茶苦茶な事を言っているように感じるかも知れません。

しかし、この無骨な姿勢、社会に対する反骨心は、伝統的な姿でもあるように思います。

正岡子規は、『歌よみに与ふる書』で三十六歌仙の紀貫之を批判する事から始め、『芭蕉雑談』で芭蕉の批判をして、和歌を短歌に、俳諧を俳句に革新しました。

尾崎放哉や種田山頭火、若山牧水、中原中也、太宰治、この本にも出てくるけれど、酒や女で有名な文豪は多い。千利休だって、将軍に逆らって切腹させられている。

また、世間的に言われるアートと同様に、時代に抗いながら、戦争や前衛、アバンギャルドを経て現在まで文学が続いて来た事は、少し詳しい方ならご存知かと思います。

「え?なに?俳句?俳句って年寄りの趣味でしょ。難しくてわかんなーい」

馬鹿野郎!!」

に尽きる訳です。

北大路さんの実際に行なっている、フランクで、ざっくばらん、でも実直に感じた事を言い合う句会のやり方や、北大路さんの選ぶ名句(どれも、かっこいい!)

悩み相談コーナーまであり、人生に、俳句が具体的に作用する事を教えてくれます。

「つまらんことで悩むな。つまらんことに惑わされるな。自分で価値を決めるのが芸術であり、俳句なんだよ。」

上品なお稽古ではなく、核心へ突撃する勇気のある方にとって、最短距離の入門書かと思います!

圧倒的信頼感と厚みー青木亮人さん、『近代俳句の諸相』

俳句研究者として活躍する、青木亮人さんの評論集です。

評論集というと堅めの印象があって、あまり触れない方も多いのですが、この本はどのような方にもお薦めしたいです。

1つはモチーフ。正岡子規、高浜虚子、尾崎放哉、山口誓子、中村草田男、石田波郷、菖蒲あや。短詩系文学の門を叩く人が避けては通れない人たちをピックアップ。生涯や活動の流れのポイントや、ターニングポイント、動機を驚くほどコンパクトにまとめてくれているように思います。

魅力のもう1つはカジュアルさ。いわゆる研究者向けの学術論文の様な堅さやマニアックさ(それはそれで楽しいのですが!)よりは、その俳人の人となり、全体像をサクッと掴めるような核心部分を鋭く、項目にして
紹介してくれている印象です。とはいえ、エッセイではなく評論なので軸足は常にニュートラル。このまま鵜呑みにして知識に良さそうだ!という安心感、研究に裏付けられた信頼感を掴みながら読み進められます。

既に実作をしている方の筋力増強に!
俳句ってなんだろう?と、真面目に考え始めたニューカマーの皆さんに!
広くお薦めしたい1冊です。

書籍紹介ー美しい世界の悲しみと希望ー藪内 亮輔さん『海蛇と珊瑚』

2012年角川短歌賞受賞。藪内 亮輔さんの待望されていた第一歌集です。

とにかく静謐で美しい歌たち、しかし、その多くには濃く強い陰がかかっています。

その陰は若者らしい安易な絶望や放棄ではなくて、生命の向こう側まで見通すような、重たさや神秘性を持って命や世界を描いているように思います。

 

 

 

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく

 

鉄塔の向かうから来る雷雨かな民俗学の授業へ向かふ

 

日々に眠りは鱗のやうにあるだらう稚(をさな)き日にも死に近き日も

 

 

 

一首目、実に日常的な光景。どこまでも続くような白く輝く世界に出ていく前に人は必ず下を向く。下を向くことも、世界が白く明るい事も、寒く厳しいかもしれない世界がどこまで続いているのかも、全てが運命のようにも見えて、自然にそれらを乗り越えていく人々がけなげに、しかしとても力強く見えるように感じます。

 

冷たい鉄塔の向こうから、大きな力が迫ってくる予感がする。かな。と、ただ見つめる姿がすごく小さくも見えます。人は、学問の力で神秘に立ち向かおうとしたり、その秘密を探ろうとし続けているのだと思います。

 

眠りは鱗だとするとそれは体を守るもの、外れないもの、淡々と繰り返されているもの。安らぎは、実は薄くて剥がれやすいもので、子どもも病人も老人も区別しないような、凄く冷酷なものかも知れない。でも、誰にもいつかは訪れるもの。

 

 

世界の希望や冷ややかさに触れながら、それに浸るでもなく、悲しむでもなく、一体化するかのように受け入れ、ひたすら視線を注いでいるように見えます。希望にも失望にも固執しない故に、どこまでも深い世界まで覗けてしまうような、視線・身体の奥行きを感じます。

 

 

 

十本の脚に五本の腕は生え蟹走りして来るんだ闇は

 

詩は遊び? いやいや違ふ、かといって夕焼けは美しいたけぢやあ駄目だ

 

絶望があかるさを産み落とすまでわれ海蛇となり珊瑚咬む

 

 

 

一見、寓話や物語のような語り口もありました。しかしどれもが空想の世界というよりは強い実感を伴うもので、ただの作り話とはとても思えません。

 

十本の脚と五本の腕の生きものは化け物としか言えないようで、蟹走りをするという辺りが、哺乳類のように意思疎通の出来る相手ではないように感じます。おそらく動きも機敏、予測不能、それでも、僕たちの方に目的があるかのように向かってくる。心の闇?世界の闇?分からないけれど、不穏なものはそうやって抗いがたく、不如意に近づいてくるのだと、こんなに非現実的なのにとても納得させられます。

 

会話のような歌は、実際の言葉のようでありながらどこか芝居がかり、近代の小説を読まされているような感覚があります。これはおそらく現在にも通じている話。小気味よくて、本当にそういったことを言った登場人物がいそう。そういう時代やあり方への憧れでもあるし、文学者がやっている事が大して変わっていない。越えられないという批判のようにも見えます。美しいだけじゃ駄目なら、何が必要なのか?それを聞くのも野暮になってしまうような、姿勢の表明にも感じました。

 

表題にもなっている一首。これまでの通り、世界の明るい面、暗い面の両面を深く見つめている作者で、その姿勢を強く感じました。絶望が明るさを直接産むというのは理論的にはよく分からない話。それでも、その向こうに美しい世界があるというのは作者の直感的に捉えた確信のように思います。海蛇、珊瑚、どちらも強く硬く、拮抗する。表情も変えず、大きな海の中で生命の営みに包まれている大きな世界観を感じました。

 

読んで欲しいな、と思い長々と感想を述べてしまいましたが、装丁含め、一目見て問答無用に美しい歌集!!

是非是非、お手に取ってご覧ください。(よ)

短歌研究2月号

編集後記にて弊店の箒といしいしんじさんについて、触れて戴いております!
ありがとうございます。

短歌研究2019年2月号は
「いよいよ京都、大特集」!京都歌人の平成じぶん歌。いしいしんじさんと吉川宏志さんの対談は、ジャンルを越えて深く共鳴する、神秘性すら感じる内容でした。