書籍紹介ー「俳句という他界」関悦史さん(邑書林)

関悦史さんの評論集です。

三橋鷹女、田中裕明、安井浩司、池田澄子、さんら、作家論も刺激的なのですが、何と言っても表題の俳句の他界と関連する、「俳句の懐かしさ」「断章」がエキサイティングかと思います。

フランス現代哲学、シュールレアリスムを始めとした美学、民俗学的知識など、広い知見と思索の到達点として、関さんの俳句がある事が分かります。

「俳句は自己・自分語りをそのまま持ち込むことに適していない。(中略)メタレベルの自己を包摂しつつ、しかし個体性からも遊離しないという二重性の中で生成し続けるものなのだ」

「言語は、虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶ事はかたし」『本朝文選』

「「俳諧」にはもともと「滑稽」の意味があるが、この二重性はユーモアと同じ構造を持っている。(中略)自己を最低限、他者性へと開くのが「季語・季題を入れること」という約束事なのである。」

季語・季題を入れるという事は、他者・他界への道を開く事である。という話です。それは連歌の歴史もある訳ですが、その自・他を繋げる所に、踏み込んでその「聖性」についても触れています。

「聖性とは、この世だけて完結した価値観や、個人の実利的合目的性を超えたものがこの世に介入したときに生まれるものである。」

ただの物理的な現実にも、個人的な主観捉われない新しい次元を開いてくれるのか季語、という事かと思います。

「俳句は飛躍と断裂の驚異によって自己や因果律を離れ、その上で他界的なものを含みつつ再統合を果たすものなのだ。俳句はジャンルの出発当初から必然的に「前衛」であり、それゆえに懐かしみを表出するものだったのだといってもよい」

とにかく、この宣言と、深い俳句愛にしびれました…!

たくさん引用してしまいましたが、実は、ここまででまだ開始15ページ。

本当にエキサイティングな評論集です。

(難しいかな?と思われがちですが、短い章が多いので、割とさくさく読めました。)

評論の感想、というのも難しいのですが、色んな方に見てもらいたい!と思い、投稿してみました。

是非是非、お手にとってご覧くださいませ!

(吉田)

書籍紹介-地上で起きた出来事はぜんぶここからみている 河野聡子さん

『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』

ヴァーバル・アートユニット「TOLTA」

河野聡子さんの詩集です。

山本浩貴さんによるデザインが、かなり特徴的で、配置、構成自体にリズムがあって、朗読を聞いている様な印象を受けました。

「レイアウトは単なるアクセントや進行上の見栄えの問題を越えて、作品内部に張り巡らされた論理そのものと関わり合い、ひいては作品内論理の更新さえ引き起こすものとして考えることができます。」

-付録小冊子の座談会も、かなり濃密になっています。

ぼくらは羽ばたきを追って歩くふりをする

きょうはキャンプ場までずっと歩かなくてはいけないし

あしたはもっと遠くまで行かなくてはいけない

火星の水を撮影した探査機のように遠くまで

今やぼくらは歩けなくなるその日までずっと歩かなくてはいけない

ー「歩く人」より

日常世界の、時間や空間とは別の空間から言葉が語られている様で、舞台を見ているような印象も受けます。

紙上の構成と密接に繋がっていて、こんなにブログで伝わらない書籍も無いのではないでしょうか…!!!

また、河野聡子ら4名のユニットTOLTAは、500m美術館での展覧会にも参加されているようです!

併せて、ご高覧下さい!

◆◆◆

500m美術館Vol.26「最初にロゴス(言葉)ありき」

<出展作家>

港千尋(写真家/著述家/あいちトリエンナーレ2016芸術監督)

高橋喜代史(アーティスト)

文月悠光(ふづき ゆみ/詩人)

渡辺元気(郵便局員)

TOLTA(山田亮太、河野聡子、佐次田哲、関口文子、ヴァーバル・アート・ユニット)

居山浩二(アートディレクター/グラフィックデザイナー)

朴炫貞(美術家)

池田 緑(アーティスト)

ワビサビ(グラフィックデザイナー)

樋口雅山房(書家)

<開催概要>

会期|2018年4月27日(金)~2018年6月27日(水)

時間|7:30~22:00

会場|札幌大通地下ギャラリー500m美術館

住所|札幌市中央区大通西1丁目〜大通東2丁目(地下鉄大通駅と地下鉄東西線バスセンター前駅間の地下コンコース内

主催 札幌市

書籍紹介―雪舟えまさん「はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで」

「はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで」朗読&サイン会
日時:4月26日(木)19時~20時
場所:がたんごとん
http://gatan-goton-shop.com/
札幌市中央区南1条西15丁目1−319 605号
参加費:無料

も控えております。一足先に、歌集についてご紹介させてください!

―恋は盲目、と言いますが、雪舟さんの世界は恋と魔法と空想、その先の世界へどんどん旅立っていく感覚がありました。閉ざされた世界にわき目もふらず進んでいく様なドライブ感と、直進性ゆえの恐さのようなものもちょっぴり感じました。

フライ追うように走って しあわせだ、しあわせだって退路を断って
水盤に満月ひとつ持ってもう動けなかった幸せでした
立てないくらい小さな星にいるみたい抱きしめるのは倒れるときだ

―本当に夢中になる、という事は、帰り道がなくなるという事なのかも知れません。命がけ!で生きています。

酔いました 何度も何度もきみを産み何度もきみにお嫁にゆくと
俺の心はきれいじゃないなんて上等だ わたしは空に目くばせをした

―また、現実以外の世界とも繋がっている方です。巫女的、というよりは、物語や魔法に近い。恋のために何度も転生する。雲の上に、どんな友人がいるんでしょう・・・。上等だ、と、わざと悪ぶった言い方が、逆に親しさを強調します。

タッパーの跡がうまそうとご飯を君よろこべばほんとうに夜
わたしには代われないおつかい抱いて夕立のなか蛾は歩きおり

―でも、すごく現実的な描写も多くて・・・魔法的な歌と相互に強め合う感じも受けました。
夜のご飯はタッパーですよねー!雪舟さんの本当の夜とは、「君」がいて、ともに過ごし、ささいな事を楽しんでいける日々のことなのだと思います。得難い喜び・・・
蛾は蛾で、それぞれの命と使命があって、必死に生きている。雨の蛾、というのは渋くて、近代短歌にもありそうなモチーフですが、使命や命、じゃなくておつかい、という当たりがすごく雪舟さんらしいカジュアルさや視点を表しているなぁ・・・と思いました。

野のような家の姉妹は眠るとき赤い小さなとぐろを巻いた

―カフカをほうふつとさせますね・・・ちょっと薄暗さや異界のような怪しさもありながら、丸まって眠る人のビジュアルもリアルに想像しました。

夏布団わたしのパンツがみえたならそれはおみくじ、いつも大吉
僕たちは大当たりだ何があっても音もなくすぎてゆく夜にも
ああっご飯 二人になると落雷のように食事はおもいだされる

―二人だけの、すごく狭い世界。その中がすごく濃くて、満たされていて、大吉、大当たり、など、大ぶりな全肯定(笑) 無菌空間のようにプレーンな幸せを詠っています。

目ざめたら息が乱れていた私自由になるのかもしれなくて
ふたたびの思春期これはススン期だ息するだけで僕はかがやく
自転車の重さも軽さも楽しくて半月のような町をゆくのさ

―暗さはないものの、解放されて新たなところへ旅立つ志向も多くあります。どこへ?というと、やはり雪舟さん的な新しい地平を感じられて、すごく魅力的な世界像を想像します。ススン期の世界・・・行ってみたい・・・
半月のように、普段は見えない領域が大きくあって、ふわっ、と向こう側に行ってしまうような感じがあります。

・・・歌集に、ネタバレ、というものがあるか分かりませんが、4章、「そして、はーはー姫は彼女の王子たちに出逢う」以降は、個人的には、そっちかー!!!というくらいの大転換だったので、詳細は控えようと思うのですが・・・刺さったものだけ引いておきます!

溶き卵のようにひろがる夕やけにたったひとりの眼鏡に会いに
股ぐらへミートボールの軌跡きらきら光るのを声も出ず 春

―現実、恋、魔法、空想から、はーはー姫が王子たちに出逢うまで・・・ゆらぎながら、旅立っていく流れが、一本の映画を見るように楽しめました。

こんなに書いても全然書ききれない、魅力的な歌集です!
星四朗さんのあとがきも、情熱ほとばしっています。
ぜひぜひ、お手に取ってご覧くださいませ!

書籍紹介ー劉暁波・霞 詩集「牢屋の鼠」「毒薬」「独り大海原に向かって」

劉暁波氏を初めて知ったのは、新聞でした。概ねは人権活動家が国家に捕らえられている。というニュースで、詩人、というのはこの本を通じて知りました。

こんなページを開いてくれる方は、詩歌に関心のある方が多いと思います。そんな方は、詩人は世界について真剣に考え、向き合い、戦っている事も知っているかと思います。これらの本に収められている散文や詩は、彼の活動や言動が、人々の為に活動家として戦った事を強く感じさせます。寧ろ、命を賭して人間の為に戦う事と、詩をつくる事が同じ事だったんじゃないか。とすら思います。

一匹の小さな鼠が鉄格子の窓を這い

窓縁の上を行ったり来たりする

剥げ落ちた壁が彼を見つめる

血を吸って満腹になった蚊が彼を見つめる

空の月にまで魅きつけられる

銀色の影が跳ぶ様は

見たことがないくらい美しい

今宵の鼠は紳士のようだ

食べず飲まず牙を研いだりもしない

キラキラ光る目をして

月光の下を散歩する

ーーーーーーー「牢屋の鼠ー霞へ」

情景としては、冷たく厳しい、静謐と悲しみがあります。でも、絶望や後ろ向きの感じは殆どありません。暗闇の中で美しく駆けるネズミの様に、必ず一閃の希望が描かれています。

また、妻の霞さん、または、荘子、カフカ、ウィトゲンシュタイン、かつての偉人へ向けた詩のシリーズも特徴的です。

冷えびえと空にかかる月のように

それは僕の頭上高くかかっている

きらきらと輝きながら高慢に見下ろし

僕を窒息させようとする

背景に深々と広がった

墓から飛び出してくる幽霊のようだ

君に神聖と純潔を捧げよう

ただ一度夢の中で親密に交わるだけでいい

肌と肌の燃焼など求めないが

視線だけを冷たく染めながら

火焔が蒼白の中に消え去るのを見つめている

空の嘆き悲しむ姿が広漠すぎて

僕の魂の目では見破れない

僕に一滴の雨水をくれ

地面の泥を洗い流すから

僕に一筋の光をくれ

閃きの問いがみつかるだろう

君が一つの言葉を発すると

この扉が開き

夜を家に招き入れる

ーーーーー「牢屋の鼠」妻へ

大きな闇の中にいながらも、世界を、歴史を知り、確実に誰かと繋がろうとしている。詩を書くことで、世界を肯定しようとしている事を強く感じました。

また、大義名分や正義の為、というより、ただ目の前の大切な人の為に戦った人だ。という事も感じます。

元の本は、霞さんとの2人の詩集だそうです。霞さんの「毒薬」とも読み比べると同じ視点を持っていながらも、暁波さんからの強く激しい愛と、そのアンサー。壮大なラブレターとも読めます。

世の中には様々なニュース、政治問題などがありますが、どこにも根本には熱く血の通った人間がいる。という事を思い返させてくれました。

書籍紹介ー「死ぬほど好きだから死なねーよ」 石井僚一さん

北海道江別市出身、北大短歌会在籍中に「父親のような雨に打たれて」で第57回短歌研究新人賞を受賞した、石井僚一さんの第一歌集です。

装丁からして衝撃的!中身はもっと刺激的です。

すごく乱暴な言葉が多い。むしろ、一般的にみて綺麗な言葉の方が少ないかも知れない。けれど、間違いなく剥き出しの感情と、どうにも整理がつかない溢れだす葛藤と愛情が生々しく満ちていて、すごくパンクでリアル。そんな生き様は美しいようにも思います。

遺影にて初めて父と目があったような気がする ここで初めて

これから自殺をするけれど掌に木漏れ日がきらきらしていてちょっとためらう

言葉なく家族とカレーを食べている この辛さは深刻だと思う

 

・・・タイトルにもある通り、「死」という単語はしばしば出てきます。死ぬほど好き。という例えと、死なない。という実際の生存の話が同列に並べられる。すぐしねしね言う命の軽さは現代的とも言えますし、これから自殺、ちょっとためらう、など、コンビニに行くようなテンションで、すぐ隣に死がある。もはや膝に抱えて生きている。という感じすらあって、軽くてふざけているようでいて、自身の生命を軽く軽く扱わざるを得ない、ギリギリの境涯を感じます。

神さま、夢はもう見ませんから、重たくて分厚いまぶたを四つください

たこ焼きのなかには何があるでしょう? たこ、ばか、ぼけなす、あほう、あいしてる。

誤解ではなくて誰もが幸せに暮らしていると確信している

 

・・・生命は、死や絶望と同居している。でも、どうにか希望をみようとしている事もある。神様に頼んでみる。でもそれは夢を見ないという誓いで、開ける事の難しいまぶた。二重に被せるのか、付けたくもないところにも目が開いているのか。普通の人間としている事も諦めているようにも見える。

「たこ焼き器、または便器」という連作もあり、たこ焼きがネガティブなイメージとして出てきます。たこ。というのは、何とも根も葉もない罵声で、ばか、ぼけなす、など、子どもも言わないような言葉の最後に出てくるのはあいしてる。何にも考えたくない、とにかくぐちゃぐちゃしたものが焼かれて固まっている。自暴自棄とも言える自意識の中にも、愛があることを否定できない、あまりにもむき出しな感情の連続です。

 

逆光を背中に受けて微笑んでわずかに揺らぐあなたの輪郭

同時におなじことばを発してドッペルゲンガーだったんだろう ぼくがきみの

・・・自身も、相手も、存在が揺らいでいる。逆光の微笑み。後光だろうか。神々しさすらある誰か。大切な人なのだろうけれど、微笑みかけた時に、その不確定さに気づいてしまう。

ドッペルゲンガーは、みたら死ぬとも言われている。同じ言葉を口にしただけで、自身が相手の幻影だったのかも知れない。と気がついてしまう。しかも、相手を消してしまう存在でもある。だろう。なので、それすら確実じゃない。なんの拠り所もない悲しさがあります。

 

手を振ればお別れだからめっちゃ振る 死ぬほど好きだから死なねえよ

夜になるほど狭くなっていく公園でいつまでふたりでいられるだろう

・・・めちゃくちゃな事ばかり言っているようで、切ない歌が多いです。手を振ればお別れ。当たり前の事。自分はお別れには抗えない。だから、精一杯手を振る。「必死に」など、取り繕う事はしない。ただただ、がむしゃらに、「めっちゃ」で振る。死ぬほど好き。というのは、死とは無縁な安全な世界だからこそ使える、現在的な口語だと思う。しかし、実は自身は死と隣接している事を自覚している。別れたくない。けれど、必死で別れる。修飾語に使えてしまうほど軽い命だけれど、その全てを賭して、相手を愛そうとする、すごく切実な心情を詠っているように思います。

迫りくる夜の様に、不可抗力して寄ってくる闇。その中で、必死に声をあげる、魂の歌集です。

 

書籍紹介ー「サイレンと犀」岡野大嗣さん

安福望さんの絵も素敵な、一冊。
短歌は読まないけれど、素敵なのでこの本は気になっていた…というお客様がいて、とても嬉しくなりました。
これはご紹介したい!

岡野大嗣さんは、『選択と削除』で第57回短歌研究新人賞次席。木下龍也さんとの共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』 も話題です。

きれいな言葉を使ってきれいにしたような町できれいにぼくは育った

裾上げを待つ ストⅡのデモ音がやけに響いているゲーセンで

ひとりだけ光って見えるワイシャツの父を吐き出す夏の改札

…すごく日常的な単語や光景。でも、暮らし系というよりは、切実に、生命に迫る方に向いている感じがします。

既製品のズボンを切る中で響く電子音。
会社から帰る父の吐き出される改札。
社会の規格やシステムの不安を匂わせつつも、ノスタルジックだったり、感傷的で、ただの社会批判には収まらない味わいにすごくリアリティを感じます。

カーテンが外へふくらみ臨月のようで中身は4年3組

理科室の三面鏡で先生がぼくを無限に殖やす四限目

宵闇にブルーハワイのベロというベロが浮かんでいる夏祭り

…子ども時代を詠んだ歌も印象的でした。学校のカーテン、よく膨らんでたなー!笑 でも、なんだか不安に感じるのは、母と子という個人じゃなくて、クラスを一絡げにして孕んでいる事。教室は、一律、平等に教育をする場で…I was bornではないですが、生まれるより、生まされる印象を受けました。

三面鏡も、あるある!なんですが 笑 先生が理科室で僕を増やす。というのが、精神的な意味で、クローンや量産を彷彿としました。

ブルーハワイで青い舌になるのは、楽しい思い出もあるけれど、食べる事、身体の色が変わる事、皆が同じ色になっている事、しかもそれを楽しんでいる事…要素が影響し合って、祭り、という、神話や異界の境界という事も重なり、何とも不安な気持ちになります。みんな妖怪にでもなったんじゃないかと思いました。

青いベロみたいに、意味を捉え直すと、ガラッと世界が変わる。その真実味。みたいな事も多く感じました。

ポケットの硬貨2枚をネクターに変えて五月の風のなか飲む

消しゴムも筆記用具であることを希望と呼んではおかしいですか

…100円玉ではなくて硬貨2枚。ジュースではなくてネクター。リアルな肌触りが続く事で、五月の風もただの状況というよりは、その時、その場だけの肌触りを感じます。そして、飲む。音が聞こえるようです。

そういう、日常の細かい引っかかりに、リアリティや生命感を感じる。消すものなのに筆記という枠に入れてもらっている事。とり零されずに拾われる事を、控えめに、おかしいですか?と、問うています。入れてあげたい!そうして救われる事が、希望なのだと思います。

つよすぎる西日を浴びてポケットというポケットに鍵を探す手

えっ、七時なのにこんなに明るいの?うん、と七時が答えれば夏

…岡野さんはこういった、細かい出来事や全てのことに、大切な事、生命に触れるものが含まれている事をとてもよく知っていて、それが自然に提示されています。ポケットの鍵を探すなんて本当に日常的な事だけれど、僕達は、普段から強い西日の様な圧力、何かに晒されていて、抜け出す鍵を探している。あらゆる手段、ポケットというポケットを活用している。手。と、倒置される事で、意のままにならない感じもしますね…ありきたりなのに、そのまま全てが比喩になるような…現実と詩的な比喩、示唆の敷居の無さにも舌を巻きました。
こんなに明るいの?あるある。多分、毎日の中で、自分の「七時感」みたいなものが出来上がっていて、気づいたら変わっているから驚くんですよね。時間を人に喩えるなんて、かなり突飛なはずなんですが、スッと、敷居なく七時が隣人になった感じがします。

安福さんのイラストも、ちょこちょこ入っていて、素敵です!
自分が美術系の人なので深掘りしてしまうんですが、日常のものや道具に、生命感や美しさを見出すというのは茶室以降すごくスタンダードな日本美術の形で…茶室には、歌や絵はいつも一緒にありましたよね。日常的なモチーフの短歌とイラスト、コンビネーション抜群だなー!とか、個人的に思いました。

装丁も素敵なので、是非是非、ご覧においで下さい〜!

書籍紹介ー伊波真人さん「ナイトフライト」

第59回、角川短歌賞を受賞されている、伊波真人さんの歌集。

かっこいい!歌集です。

夜の底映したような静けさをたたえて冬のプールは眠る

三脚は新種のけもの芝のうえ三つのあしを下ろしゆくとき

・・・タイトル含め、星や夜、ロマンチックなワードが多いですが、夢想や幻想よりに飛躍するよりは、伊波さんのフィルターを通した解釈、という印象を受けました。

柔さよりは、夜や世界の美しさ、強い肯定。俺がナイトフライトに連れて行ってやるぜ!ってくらいな、潔さ。

月までは行けないことは知っているそれでも強く自転車を漕ぐ

日食は白いリングでしめされて果たせなかった約束がある

シャッターを押すの見たことないけれど君のニコンは首飾りかい

・・・ややニヒルなくらいなのに、厭世感はあまりなくて。ナイトフライトの通り、スリルもドラマ。くらいの男らしさも感じました。

雲のない都心の空が映される暗いニュースとニュースのあいだに

東名はどこか寂しい響きだね 別れに向かい僕らは走る

電線は白紙の譜面(スコア) 郊外の町はいつも通り静かだ

星々の消えゆく朝にクレーンは少しかたむく虚空を指して

…ネットなどの情報ではシティポップがお好きで、映画、写真もやられていた様で…印象的で、フォトジェニックな光景が浮かびます。こう、魂の擦り切れる様なヒリヒリ感を吐き出すスタイルよりは、写真の様に美しい光景を切り取って詠んでいる様に感じます。それで力強くて、肯定的な世界観が生まれるのかな。などとも思いました。

発行日が12月24日というのも出来すぎです!レッツ、ナイトフライト!

ほんと、かっこよくてさらわれるかと思いました。

皆さま、お手にとってご覧ください!

書籍紹介-「うずく、まる」 中家菜津子 さん

第一回詩歌トライアスロンを受賞されている、中家菜津子さんの歌集です。

短歌だけでなく、詩も収められた歌集。

「うずく、まる」

「星を身籠るわたしは母なのです。この十年いのちのない塊の母であったのがわたしのおんなとしての正味だったのです」

「あなたのケースでは、これが最善の策です。リスクを冒してまで守るべきものなのですか」

「星が生まれる時、澄んでひかりながらしたたり落ちたものの重さを知らないのですね」

「術日を決めましょう」

うずく、まる

「わたくしはおんなとして星であるべき身体なのです」

ふとももと胸のふくらみくっつけて立派な椅子を信じていない

…表題にもなっている、「うずく、まる」。リフレインの様に入ってくる うずく、まる という言葉。リズムを刻んでいる様でありながら、演劇の様な語り口。短歌と詩の敷居がシームレスで、これぞトライアスロン…!と思いました。

薄氷を踏む子の列は通りすぎ小さな鳥へひかりを配る

ひとときの紅茶を淹れる読みかけの本はかもめのかたちに伏せて

火を飼ったことがあるかとささやかれ片手で胸のボタンをはずす

…澄んだ心象、けれど、すごくドラマティックです。全体的に、短歌を読んでいても、詩を読んでいる様な印象も受けました。

ストレートな写実よりは、心や状況を何かに喩えている事が多い。アニミズム的に物や自然に想いを託すよりは、ストーリーやシーン全体が、何かを表しているように見えて、モチーフもさることながら、演劇の語り口に近い感じがしました。

ドラマティックなのに、妄想や、ファンタジーという感じはあまりせず、やはり実感がぴったりとくっついている様に思います。

そして視覚的にも美しく、緊張感があり、とても澄んでいます。北海道にも住まわれていたそうで。雪国のモチーフも、それらを効果的に際立たせます。

月蝕の暗がりにいるいもうとは草むらに火をしずかに放つ

まっすぐな一本道の果てに立つポストに海を投函した日

悪夢から目覚めてママに泣きつけばねんねんころりあたまがころり

みもざ、みもざ 歌ってほしい耳もとで雨粒よりも小さな声で

ポケットに切符を探している人がポプラのように改札に立つ

ストーブの炎を鏡越しに見る(氷のような短いメール)

わたしには温かいときあなたには冷ややかな肌、冬を重ねる

一枚の大きな鏡が割れたのか本から顔をあげる砂浜

旭川駅は硝子に囲まれて茜はやがて焼け跡になる

干瓢の皮をひたすら剝く祖父がふいに微笑み左手を見る

パレットのような田を行く自転車よ黄色の絵の具を買い足すために

保育器へ向かう廊下は朝焼けの菜の花畑へ続く道のり

…短歌だけでなく、詩やドラマティックな光景もあり、心がぽわっと広がりましたね…!

色々な見方が出来ると思うので、じっくり、ご覧戴ければ嬉しいです!

書籍紹介-念力ろまん- 笹公人さん

新鋭短歌シリーズからいくつかご紹介したので、現代歌人シリーズからも。

笹公人さんの、「念力ろまん」です。

笹公人さんの「念力家族」は、NHKでドラマ化されたりもしたのでご存知の方も多いのではないでしょうか。

いわゆる、学校で触れるクラシックな短歌とは真逆を行くような作風。(こういうの、学校で習えたら素敵なのになー)

でも、決してコミカルなだけではなく、人間の深いところに刺さってくる歌集だと思います。

「黒板に吸い込まれる」と叫んでらフィラデルフィア事件をググりしばかりに

紫式部の腋の臭いを思いつつ黒板消しをはたいていたり

…フィラデルフィア事件は、戦時中、電磁波を発生させたら、戦艦が突如瞬間移動、たくさんの犠牲者がでた。というオカルト的な話です。ググったら、黒板に吸い込まれる!と、叫ぶ人。紫式部の腋の臭い考えた事のある人なんて、いるだろうか(笑)

オカルトも、紫式部も、現代では事実の様な半分フィクションの様な存在ですね。そういった所を突いて、混乱させてくる感じがします。

東進ハイスクール講師陣のキャラ濃かりけり地獄のディズニーランドのごとく

…東進の講師陣、楽しそうな感じもするけど、実際修羅場ですよね…!でも言い方がユーモラスで、揶揄する様な、現実感のない様な感じを与えます。

宇宙服のなかにまぎれる蚤などを思いて春の寝返りをうつ

…宇宙!ロマン!という思いを一発でちゃぶ台返しするような、蚤…!でも、そんなのもどうでも良いや。みたいな春の昼寝(?)

深刻だったり、深い意味のある言葉も詠み込まれているんですが、どれも一歩引いているというか。おもろ!と、読んでいくと、シュールさの裏で、心の空洞が大きくなっていく様な感じがします。さらに、叙情的だったりするんですよね。

こういうフィクションに片足を入れた世界にリアルな感触があるんじゃないか。というのも、世代的にわからなくなかったりして。

でも、圧倒的なベテランの方なので、一首だけ読むと、本当に綺麗だなぁ…という歌もたくさんあります。

何時まで放課後だろう 春の夜の水田に揺れるジャスコの灯り

網駕籠に野菜盛られて居酒屋は邪馬台国の宴のごとし

しゃらりんと虫取り網で掬いたし古井戸に棲む青き鬼火を

どろどろと木造校舎の背にのぼる黒入道と目が合えば、冬

…ジャスコのローカル感と青春感、たまらんですね…!三、四首目も、フィクションや幻視的なんですが…子どもの頃って、異界と繋がっていた感じがします。

砂漠で見る幻のごとローソンの青き看板灯りていたり

彦根城のプラモデルだけ残されて春の視聴覚室は暮れゆく

青春まで揚げていたのか あの夏の「つぼ八」厨房怒鳴られながら

すごく叙情的だったりファンキーだったり、ちょっと頭の中が忙しい。けれど、キチッと型にはまった世の中より、ちょっと混沌としてる世界の方が、実感が湧いたり…。入り込むと、中々でてこられない歌集です。

書籍紹介ーやさしいぴあのー 嶋田さくらこ さん

私も、お世話になったのでこちらから

嶋田さくらこ さんは、「うたつかい」というZINEも企画・発行されていて、吉田も、何度か投稿したことがあります。(すっかりご無沙汰してしまった・・・また投稿したい)
百数十名の投稿者がおり、みんな、twitterアカウントを持っています。若い歌人の、最新作品がぎゅっと詰まったZINEです。

そんな嶋田さくらこさんの歌集。
うたつかい同様、間口が広くて、すっと心に入ってくるものが多いです

主には…恋の歌!

仲直りしてあげるから買ってきて雪のにおいのアイスクリーム
君とよく行ったドラッグストアにはまだある同じ香りのシャンプー
薄紅に染めた指先潜ませたコートのポケット 早く気づいて
手のひらが大きいねって言ったこと去年の冬のことにしないで
淡雪がやさしい雨になりました 泣くならこんな日がいいでしょう

しかも、すごい量で、殆どが届かぬような叶っているような・・・
映画でいうと、どこを開いても名シーンという感じに、ときめきの連続であります。

バスタブの淵に沈まぬようにしておかえりなさいの練習をする
つぶやきは真夜中の雨 ささやきは暁の雨 春になりたい
日曜のまひるあなたを思うとき洗濯ものもたためなくなる
おとうふの幸せそうなやわらかさ あなたを好きなわたしのような
たんぽぽが綿毛を飛ばすつもりなどなかったようなさよならでした

で、緩急の繋がったストーリーがある、というよりはきらきらしたシーンが連続する。
という感じで、鑑賞しやすいですね。あまり、短歌に親しみのない方にもお勧めです。

多くは、恋のシーンを詠んだ歌で、嶋田さん自身の人物像やプライベートは出てきませんが、実家(地元?)の事を詠んだ章があります。

おう、わしやわしや、と電話かけてくるこの町のおじさんはみんな
みほちゃんの髪はほそくてやわらかい 冷たい水で洗うんだって
いなくなる妹たちのオルゴール鳴らせば子供部屋だったこと
父に似た娘は父に似つかない男に嫁ぎ、もう似ていない
信じたい神がいなくて毎日を何に祈ればよかっただろう
だんごむし生きているのかつらかった時代もあった 丸まっている
願わくばこの毎日がゆるやかに<とある未来>へ続きますよう

ノスタルジー感というか、戻らない昔の時間に思いを馳せる切なさと
重たさ。別に、昔に帰りたいとかじゃないんですけどね。変に作為や奇をてらうではなく、ストレートに詠んだ歌。ずしんと心に残ります。
恋の歌も、直球ストレートど真ん中!という感じです。

渾身の空振りだよね(エマージェンシー!エマージェンシー!)うるさいよ涙腺
長すぎる髪が背中でからまって起きあがれない このままでいい
「旅に出る」なんてセリフを男から聞かされている 女はつらいよ
みぞおちに猫をいっぴきのせたまま眠る夜明けは少しつめたい

これだけ恋の連続でも全然苦しくなったり、叶わなくても、不思議と読後は軽やかですね・・・!こういう、ユーモアの余裕もあるせいでしょうか。

他にもたくさんの歌がありますので、是非是非、直接ご覧ください!