多様さと交錯する深みー山木礼子さん『太陽の横』

落ち着きがありながらも華があり、軽やかさも感じる装幀。(装幀・花山周子さん)

山木礼子さんの第一歌集『太陽の横』です。

からだから取り出したものは龍だらう、ほら鬣がこんなに生えて

入院着のボタン留めつつちちふさに金鉱脈を眠らせてをり

ただの比喩とは言えないような、おおらかで、深み、神秘をどしんと感じる出産の歌。

割合として少なくないので、子育ての歌が注目されがちですが、多彩な表現やモチーフにも目を見張ります。

子を持ちても歌会へ通ふ日々をもつ男性歌人をふかく憎みつ

小説を読まずに生きる一生は楽しからうよ草なども踏む

見事なイメージだけではなく、告発のようにそのまま感情を詠んだ歌や、行き場のない苛立ちの描写も、殺伐として生々しく感じます。

長雨に流れてしまひたるゆゑに運動会の歌が書けない

生きることの目的は生き延びること床からひろつた服なども着て

季節の言葉もしみじみと、それでも現代らしさを生き生きと折り込みながらユーモラスに詠まれています。床の服を拾うという、暮らしの素朴な仕草。それでも底から歌い上げるような歌。

地下鉄でレーズンパンを食べてゐる茶髪の母だついてきなさい

おそらく実景、でありながらも、ユーモラスで、寂しさや強さも感じる立ち姿。

コメントは今はいいからここで泣くわたしの子供だれか止めてよ

最後まで楽しいと思へないままで育児が終はるまづしく終はる

歌集として連続して読むなかで、まづしく終はる、と結論してしまう重たさとと、現実の受け入れに衝撃を受けます。

などなど、引いていくとキリがないのですが 、
「五十年後から私が来た」という少しトリッキーな連作から、甘美な雰囲気の歌など、本当に多様です。

はつなつの風邪のしぶとさ しはぶくに息はするどく切りきざまれて

はつなつの風邪のしぶとさ  という、爽やかな季節にダルさをぶつけたワードのパンチ力!
多彩な視点、表現が、どれも人生として重なって、重み、深みがどんどん足されていくので、歌集としてまとめて読む事が本当に楽しいです。待望の第一歌集、是非ご覧下さい。(よ)