『率』10号は、2016年発刊、
我妻俊樹さんの、誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』300首を収録した号です。
短歌・あとがき/我妻俊樹
序文/瀬戸夏子
歌集解説/石川美南 宇都宮敦
作家論/堂園昌彦
装画・装幀/唐崎昭子 山中澪
〇同人作品
瀬戸夏子「真冬と軍服を天秤にかけてみよう」
宝川踊「誕生」
藪内亮輔「心酔していないなら海を見るな」
平岡直子「椅子は夜がくると顔つきを変える」
山中千瀬「パラレルワー」
松永洋平「parade」
と並んでいますが、誌上歌集という事もあり、我妻さんの短歌について、ご紹介していければと思います。
我妻さんの短歌は一見、一筋縄ではいかない印象もあります。
バス停を並ぶものだと気づくのはいずれ人ばかりではあるまい
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
その鍵は今から四つかぞえたら夢からさめ私が開ける
主人公がどこにいるのか、何者なのか、これは夢なのか現実なのか、惑わされる事も多い、けれど、情景は美しく、豊かな余韻が残ります。
解説の中で堂園昌彦さんは、「我妻俊樹の歌を読むときのポイント」として
・「歌をなるべく素直に読むこと」
・「一首の歌の中で必ずカメラが切り替わる瞬間があるので、そこに敏感になること」
・「カメラが切り替わった前後で、主人公の感情や歌の中の空間がどのように変化したかを読み取ること」
を挙げています。
きみは信号よりも黄色い ほんとうさ 夏の日のラジオが庭に誓う
歩いてもどこにも出ない道を来たぼくと握手をしてくれるかい
雨雲をうつしつづける手鏡はきみが受けとるまで濡れていく
信号、道、手鏡。これらは何かの比喩にも読めるけれど、はっきりした手掛かりはない。何か分からないけれど、シュールでもただのファンタジーでもなくて、どこか現実と繋がる感じがします。
終バスに全部忘れてきたようなかばんの軽さのみをいたわる
五時がこんなに明るいのならもう勇気は失くしたままでいいんじゃないか
さようならノートの白い部分きみが覗き込むときあおく翳った
そのまま現実の話としてそのまま受け止められる歌もあるけれど、どこか文法的にも少しずらしてあったり、解読しきれない様な意味を含ませていたり。どこか浮遊したような、不思議な感じを残してあります。
現実味と、その隣に潜む不思議。怪談作家でもある我妻さんですが、現実と、何か分からないものの境界を広げてくれるような可能性を感じます。現実が少し不思議に変化するようでもあるし、未知の世界が、日常に染み込んでくるようでもある。
たくさんになって心は鳥たちの動いたあとの光が照らす
みずたまりにしばらくうつるスピードの乗り物でする世界旅行を
縄ばしご垂らしたヘリでさかさまにふたりはゆれる弓をかまえて
何かの寓話のようでもあるし、純然たる、美しい光景として見てもいいのかも知れない。世の中のあらゆる事の、理由を考えてもいいのかも知れないし、分からない事は分からないままでもいいのかも知れない。
読んでいて、過去にあった何かや誰かを思い出す事もあるし、意味を考える事を止めて、ただひたすらに、歌の美しさや楽しさに浸ってしまう事もあります。そんな解釈自体も、解き放ってくれる気がして、めくるめく世界に心を奪われていきました。
視点も、視界も、縦横無尽の飽きさせない世界観。是非、楽しんで戴きたいです。