書籍紹介ー美しい世界の悲しみと希望ー藪内 亮輔さん『海蛇と珊瑚』

2012年角川短歌賞受賞。藪内 亮輔さんの待望されていた第一歌集です。

とにかく静謐で美しい歌たち、しかし、その多くには濃く強い陰がかかっています。

その陰は若者らしい安易な絶望や放棄ではなくて、生命の向こう側まで見通すような、重たさや神秘性を持って命や世界を描いているように思います。

 

 

 

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく

 

鉄塔の向かうから来る雷雨かな民俗学の授業へ向かふ

 

日々に眠りは鱗のやうにあるだらう稚(をさな)き日にも死に近き日も

 

 

 

一首目、実に日常的な光景。どこまでも続くような白く輝く世界に出ていく前に人は必ず下を向く。下を向くことも、世界が白く明るい事も、寒く厳しいかもしれない世界がどこまで続いているのかも、全てが運命のようにも見えて、自然にそれらを乗り越えていく人々がけなげに、しかしとても力強く見えるように感じます。

 

冷たい鉄塔の向こうから、大きな力が迫ってくる予感がする。かな。と、ただ見つめる姿がすごく小さくも見えます。人は、学問の力で神秘に立ち向かおうとしたり、その秘密を探ろうとし続けているのだと思います。

 

眠りは鱗だとするとそれは体を守るもの、外れないもの、淡々と繰り返されているもの。安らぎは、実は薄くて剥がれやすいもので、子どもも病人も老人も区別しないような、凄く冷酷なものかも知れない。でも、誰にもいつかは訪れるもの。

 

 

世界の希望や冷ややかさに触れながら、それに浸るでもなく、悲しむでもなく、一体化するかのように受け入れ、ひたすら視線を注いでいるように見えます。希望にも失望にも固執しない故に、どこまでも深い世界まで覗けてしまうような、視線・身体の奥行きを感じます。

 

 

 

十本の脚に五本の腕は生え蟹走りして来るんだ闇は

 

詩は遊び? いやいや違ふ、かといって夕焼けは美しいたけぢやあ駄目だ

 

絶望があかるさを産み落とすまでわれ海蛇となり珊瑚咬む

 

 

 

一見、寓話や物語のような語り口もありました。しかしどれもが空想の世界というよりは強い実感を伴うもので、ただの作り話とはとても思えません。

 

十本の脚と五本の腕の生きものは化け物としか言えないようで、蟹走りをするという辺りが、哺乳類のように意思疎通の出来る相手ではないように感じます。おそらく動きも機敏、予測不能、それでも、僕たちの方に目的があるかのように向かってくる。心の闇?世界の闇?分からないけれど、不穏なものはそうやって抗いがたく、不如意に近づいてくるのだと、こんなに非現実的なのにとても納得させられます。

 

会話のような歌は、実際の言葉のようでありながらどこか芝居がかり、近代の小説を読まされているような感覚があります。これはおそらく現在にも通じている話。小気味よくて、本当にそういったことを言った登場人物がいそう。そういう時代やあり方への憧れでもあるし、文学者がやっている事が大して変わっていない。越えられないという批判のようにも見えます。美しいだけじゃ駄目なら、何が必要なのか?それを聞くのも野暮になってしまうような、姿勢の表明にも感じました。

 

表題にもなっている一首。これまでの通り、世界の明るい面、暗い面の両面を深く見つめている作者で、その姿勢を強く感じました。絶望が明るさを直接産むというのは理論的にはよく分からない話。それでも、その向こうに美しい世界があるというのは作者の直感的に捉えた確信のように思います。海蛇、珊瑚、どちらも強く硬く、拮抗する。表情も変えず、大きな海の中で生命の営みに包まれている大きな世界観を感じました。

 

読んで欲しいな、と思い長々と感想を述べてしまいましたが、装丁含め、一目見て問答無用に美しい歌集!!

是非是非、お手に取ってご覧ください。(よ)