俳句集団【itak】第39回にて講演します。

9月8日(土)13時〜 北海道立文学館講堂にて開催される俳句集団【itak】の第39回イベントにて、吉田がお話させて戴きます。

アート・工芸畑から、詩歌を中心に売る店舗を開くまで。またその経緯や理由、美術工芸・アートと詩歌の密接な関係まで。とても大切だと思っている話をたくさんの人の前で出来る貴重な機会。とても楽しみにしています!

(と、共に、あまりの大役に緊張しています)

後半の句会も、すごい規模でやるので発見がたくさんあります。逆に、慣れていない方でも入りやすいかと!

皆様にお会い出来るのを、楽しみにしております〜!!

(よ)

書籍紹介ー極限の希薄さと希望ー 西村曜さん『コンビニに生まれ変わってしまっても』


刺激的なタイトルと表紙の歌集です。なんだそりゃ、と思うかもしれませんが、あとがきには
「これはわたしの第一歌集です。タイトルについて、人間がコンビニに生まれかわってしまうことは、ままあるとおもうのです。」
とあります。

ここで、コンビニに生まれ変わる。という事が、冗談ではなく本気で言っていること。また、生物が無機物を越えて人工的なシステムに生まれ変わるというファンタジーの話ではなくて、コンビニ的な何かに、身も心も洗い流されてしまう。というような意味なのだと分かります。更にその危機感が、コンビニ依存というレベルではなくて、生き物として(もはや有機物、実体というレベル)の根本からまっさらに奪い取られる。というラディカルかつかなり至近距離の危機感として表現されている。という事だと思います。
収録された歌はその視点が色濃く反省されています。

百均で迷子になってしまってもこれぜんぶ百円だとおもって走れ
そばにいて。バールのようなものがいまバールに変わるからいまそばに
玉ねぎを剝ぐと現る一まわり小さな玉ねぎおまえはだれだ

—百均は、とても大きな店舗もあるけれど、これは物理的な迷子ではなくて、百均というシステムの中での精神的な迷子。という事だと思います。何かに追われている。ただ質が悪いだの、途上国がなんだ格差がなんだ、という社会的な理由付けはその影も現わしません。ひたすらに、魂を浸食してくるような印象があります。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』のビッグ・ブラザーが、より身近で、質の悪い形で立ち現れた印象も持ちました。
バールの様な物?そばにいて欲しいほどの怖いバールとは、ミステリー小説などで鈍器に使われるバールですが、鈍器であればバールでもバールのようなものでも関係ないんじゃないか。もし、打たれるとするならば、打たれる事は確定していて、変わるとしたらそれが似たものかそのものか。そもそもなんでバールなんだ。というように、形のない不安に覆われた歌です。
その不安さはいたる所にあって、玉ねぎを一枚剝いただけでも、それがなんだったのか、自分がどこにいるのか、分からなくなるほど、足元が崩されている事が感じられます。

暴動のニュースを消せば暴動は消える僕らの手のひらのうえ
ひきこもり人口七十万人と聞く夜の角から崩れるとうふ
テロ等の<等>に僕らは含まれる雨に打たれてキスをしたから
いましがた期限の切れた牛乳を(こわくないよと)二人で飲めば

—現実の希薄さにどこまでも追われていく。携帯の画面を消せば、そのニュース自身も存在を消す。それは、自分の意識が弱いからとか、情報化社会が悪いとか、そういう次元の話ではない。もはや止められない何かの一端で、豆腐の角のように街が崩壊していく。それをただなす術もないものとして見つめている。テロ<等>、賞味期限、など、少しの規範の隙間を、確かに保障してくれる言説や風潮なんてなくて、辛うじて大切な誰かを手を繋ぐ事で生きながらえている。そんなギリギリの世界を感じます。

「いつまでも実家暮らしはアレだし」と言う俺自身わからないアレ
シンプル・イズ・ベストかつ餓死・イズ・シンプル つまり僕らは天国へ行く
「いっしょうのおねがい」を言う 九歳が 十三さいが 五十二歳が

—あらゆる価値観が氾濫している。アレだし。といえば通じる。でも、その本当の意味は追求されきっていない。シンプルイズベスト。では、シンプルな物は全てベスト。というのは論理学の後件肯定という代表的な誤謬。もはや、僕たちは論理の通じる世界には住んでいないという事でしょう。「いっしょう」という意味も平たくのされてしまって、誰も彼もが、限りなく0に近い1の世界を生きている。という事のなのだと思います。
とはいえ、何もかも絶望している訳ではなくて、人の心も、愛情も持っている。

サブウェイの店長として一生を終える他人がとてもいとしい
持ってません温めません付けません要りませんいえ泣いていません

―のような、感情的な歌も印象に残りました。世界を諦めている訳ではない、愛はってもとにかく、全てが不可避である。という事なのだと思います。
加藤治郎さんの帯文「心の底から歌った<おにぎり>がある」も、とても心に残りました。
これだけギリギリの世界を見つめながらも、圧倒的な生命力で生にしがみついている。逆説的な、力強さも感じました。
世界が世知辛い、と思っている方にこそお勧めしたい一冊。底を覗いたのち、新たな光が見えるはずです。(よ)

書籍紹介・・・聖と俗の狭間で、人の営みをみつめる-八木博信さん『ザビエル忌』-

八木博信さんは、2002年に短歌研究新人賞も受賞している歌人で、以前には、『フラミンゴ』という歌集も出されています。

東郷雄二さんのブログでは

ヴァーチャルな神話的空間で残酷さと美しさを詠う

とも評されていますが、『ザビエル忌』に関しては、かなり現実的に問題を直視した描写が多いように感じます。

こんぎつねを撃ちても悔いぬ心あれ朝の読書の沈黙の中

道徳の時間始まる月曜の朝もっとも喉かわくとき

おそらくはどこか過失があるだろうこの美しき方程式に

具体的な懊悩や感情の吐露はかなり抑圧されていると思います。ただ、根本的な視点としては、「罪」を真っ直ぐに見つめている。その強大さから逃げることもしなければ、安易に解決することもない。ただひたすらに正面から向かい合う。という、過酷な状況に身を置き続けています。方程式のように、完璧に見えるような世界にも、ほころびがある。

また通して読む中で、キリシタン、またはキリスト教に精通した方という事が分かります。人の抱える罪をひたすらに見つめる中に、祈りもあるのかも知れません。

「ねえ、先生、来たよ初潮が」おめでとう遥かな国の武装蜂起も

水玉のTシャツなれば教室の流水算に溺れる少女

保育園最後の子供帰宅して園の兎に魔が降りてくる

少女達は、露悪的な世界であったり、選択の余地なく、悲しい環境におかれる事もある。保育園の様な、ある枠を出た瞬間に魔の手に囲まれる事もある。ただ見つめる、という中に憐れみも、怒りもあるのだと思います。ただ、一貫した目線の中に、それでも彼女達は生きていける。という強い確信もあるのではないかと思いました。

希望とはまさに悪徳 若草が蒼し静かに火の迫る野に

いつも来る無言電話の向こうから過失のごとく聞こえる聖歌

マリア像白き両手をひろげ立つタネも仕掛けもありませんよと

祭礼のようではないか厳かに電球ともる地下鉄工事

救いの様なものに出会う事もある。けれども、時にその奥にこそ魔が潜んでいる事も知っている。工事現場や、無言電話にも、人の営み、命の聖性を嗅ぎとっています。世界にはタネも仕掛けもない。何もない、と言われれば何かあるのではないか。と思うのが人であって、常に救いと罪の間を問い続ける、一貫した厳しい姿勢を保っています。

わが死体焼かれるときも寒き日かブーツの先に降り積もる雪

指をつめる極道耳を切るゴッホ おやすみなさい刃を胸に

雪の積もる日々をひたすらに歩く。ただ、どんな人達にも、必ず安らかな日が訪れる。そう信じているから、ここまで一貫した厳しい姿勢を保てるのではないかと思います。

多様な西洋的の見識と視点を元に、硬質で魅力的な世界観の中で問われる人の在り方。

この8月には、色々な事に思いを馳せようと思います。

(よ)

糸を染める

箒の編み込みに使う糸を染めました。

編み込み部分の糸は、天然染料を使い自ら染め上げたものを使用しています。
べんがら、茜、鉄媒染など。薄ピンクやグレーなどの柔らかい色合いに仕上がります。

今日染めたのは、藍。

藍染によって生まれるブルーは、糸に使われる色の中でも最も濃い色。
中津箒の特徴的な編み込み模様がくっきりと見えることから、人気のお色です。

糸を編み込むことは装飾ではなく、機能的な面が大きいです。しっかりと縛り、長年の使用に耐える丈夫な胴をつくること。しっかりと茎と糸が組まれていくと、仮にどこかほつれてもバラバラになりません。

かつては、ビニールや、派手な色も多かった箒ですが、天然の良さを活かすため、草木染を中心に、染色しています。

BLUE POND「サマータイム」展

いよいよ、space1-15の夏まつりを皮切りに、ガラス作家BLUE PONDさんの展示が始まりました。

小皿、箸置き、帯留、コマなどもあります。

BLUE PONDさんの魅力は、何といってもその自由さにあると思います。

作家ご本人を知っている方は初対面でその大らかさ、心の軽やかさに気がついているはず。

生き方や思想、というより、そのお人柄が作品に満ちている事がすぐに分かると思います。

作者の青池さんは、武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科卒業。在学中には陶磁を学んだり、卒業後は伝統的な鋏職人の所で働いたり。現在はグラフィックデザインも手がけながら、音楽活動もしています。ガラスを主な仕事としながらも、愉快な事、人と繋がる事を何よりの喜びとして、跳ねるように日々を過ごしています。

シャープな印象のアクセサリーも多く手がけていますが、今回、がたんごとんに併せてお持ち戴いたオブジェや、駒、風鈴「つららの音」(つららのね)、絵画など、バリエーション豊富にお持ち戴きました。

磨く、削る、など、エッジのある印象を持たせるよりも、ガラスを窯で溶かす技法で、その偶然性や変化を楽しむ BLUE PONDさんの作品への向き合い方は、偶然性のある陶磁や、場を楽しむ音楽など、ご本人の在り方と一体になっているように思います。

今回、アクセサリー以外のものもたくさんお持ち戴いた事、ライブを開いてもらった事などで、BLUE PONDさんの魅力を多く引き出す展示に出来ました。

展示に併せてお持ち戴いた本『考えない世界』もとても素敵な本です。

8月いっぱい開催中!

皆様のご来場、お待ちしております。

(よ)