書籍紹介ー今橋愛さん「としごのおやこ」

今橋愛さんの第三歌集。多行書きで、57577とは別の切り方をする特徴ある作風の今橋さんですが、とくに今回は育児、子どもここちゃんとの歌がほとんどで、これまでとは少し違う歌集となっています。
※本文では縦書きなので、印象が違うかも知れません。ご了承ください。

あかるいみらい
あかるいみらいに立っている
じめんをふんで ぼくはあるきぬ

わたしうむの、うむよ
はねをぬいて
せかいを

うまれたまちで あかちゃんをうむの。

ママ5才
ここは4才
おかしいね。
かささしていく
としごのおやこ

—ひらがなや甘い雰囲気の漂う作風の今橋さんですが、被写体との化学反応で、まるで
こどもが稚拙に語りかけてくる様な印象を受けます。
しかしそうなるのは偶然ではなくて、子を持つ母の多くは身体と、心の奥の方まで子どもの世界に取り込まれる。一体になるような事が多いのではないでしょうか。
ママが5才。おかしい。でも、おかしくない。同じ身体なんじゃないかと思うくらい近くにいるし、物理や時間を越えた存在として共に生きるここちゃんの魔力は、どんな子どもも、最初から持っている神秘なのではないかと思います。傘の下、2人だけの世界を歩いていく様が目に浮かびます。

ここちゃんの髪の毛は
クリームブリュレや
カヌレのようなにおいがするよ

ここちゃんは全身で表現するから
すきにならずにいられないです

「4月からピンクの帽子のここちゃんです!」
おかあさんはさみしいのです。

おいかけて
とととと と とりあるいてて
まえぶれもなく
とぶ
きゅうに ぱっと

—実は、単語や出来事自体は驚くほどシンプルだと思います。難しい用語もなく、目の前を直球で描写している。
子どもって甘い匂いがする。全身で表現するよね。学年あがって寂しい。
もはや子育てあるあるのような気すらします。
それが何故か、圧倒的な感情量と、リアリティと詩情をもって迫ってくるのが不思議です。

字余りによって溢れる感情。稚拙にもみえる語り口によって、その衒いのなさ、無防備なまでの率直さが表現され、短歌のリズムが改行で更にリズムを付加されて生まれる音楽性など、全てが一本の愛おしい日々に集約されていきます。

もうたりひんことをかぞえるひまはない
このひとたちと生きていきます

じてんしゃをこいでいるんだな
このまちで
それが全然いやじゃないんだ

工場のドアをあけると
じいちゃんばあちゃんがいて
そうだった わたしの場所は

うれしいのは
ももがすきな子にももをむき
おいしいと言って
たべるの みること

—たまに、ここちゃんではなく、自身の描写が出てきます。それは、ここちゃんとの暮らしの中で更新されていく自身の姿。
理屈や発見という様な、大人のやり方とは違う。苦労しながら世話をしているようで、実は無条件に自身を肯定してくれる巨大な存在、ここちゃんへと還元されていく感じを受けました。直球、そのままの言葉で、正面から、こちらの心もこじ開けられてしまうような力を感じます。

—帯に、「すべての子どもを産み子どもを喪くした人へ」
という言葉があるので、ネタバレにはならないと思います。
この世に生まれてこられなかった、ときちゃんの話です。

ポリープの話をきいて、そこからさき 心ぞうの音がしない。え、なにそれ

生まれてくるだけで
そだてて産むだけですごいことやのに わすれてしもたんか

「にじゅういちがつに ときちゃんうまれるの?」
行きたいね。
にじゅういちがつに
みんなで

急に改行がなくなり、素の関西弁が出てくる。ひらがなのここちゃん的文体と、あどけないその姿。
名状し難い感情の乱高下、しかし流れる日常、しかし何もかも違う。
この連続は、間違いなく歌集という連続した中でしか生まれない世界で、一読いただくしかないのだと思います。

途中の文章、日記も、等身大の生活を表していて素敵でした。

また
写真 石川美南
題字 COCO
装幀・イラスト 花山周子

となっていて、石川さんも花山さんも歌人の方です。COCOは、おそらくここちゃん。
等身大、手に届く範囲の世界を、かっこつける事もなく、しかし大きな感動を持って、驚くほど鮮やかな形で表現するというのは、本当に短歌・歌人の力なのだと思います。

子どもを持つ方、これから持たれる方に響くことは間違いないのですが、日々を新鮮に形にする力、生き方とともに変化する歌人の立ち方。すごく美しくて清々しい。全ての方にお勧めできる一冊です!

(よ)

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