書籍紹介ー「死ぬほど好きだから死なねーよ」 石井僚一さん

北海道江別市出身、北大短歌会在籍中に「父親のような雨に打たれて」で第57回短歌研究新人賞を受賞した、石井僚一さんの第一歌集です。

装丁からして衝撃的!中身はもっと刺激的です。

すごく乱暴な言葉が多い。むしろ、一般的にみて綺麗な言葉の方が少ないかも知れない。けれど、間違いなく剥き出しの感情と、どうにも整理がつかない溢れだす葛藤と愛情が生々しく満ちていて、すごくパンクでリアル。そんな生き様は美しいようにも思います。

遺影にて初めて父と目があったような気がする ここで初めて

これから自殺をするけれど掌に木漏れ日がきらきらしていてちょっとためらう

言葉なく家族とカレーを食べている この辛さは深刻だと思う

 

・・・タイトルにもある通り、「死」という単語はしばしば出てきます。死ぬほど好き。という例えと、死なない。という実際の生存の話が同列に並べられる。すぐしねしね言う命の軽さは現代的とも言えますし、これから自殺、ちょっとためらう、など、コンビニに行くようなテンションで、すぐ隣に死がある。もはや膝に抱えて生きている。という感じすらあって、軽くてふざけているようでいて、自身の生命を軽く軽く扱わざるを得ない、ギリギリの境涯を感じます。

神さま、夢はもう見ませんから、重たくて分厚いまぶたを四つください

たこ焼きのなかには何があるでしょう? たこ、ばか、ぼけなす、あほう、あいしてる。

誤解ではなくて誰もが幸せに暮らしていると確信している

 

・・・生命は、死や絶望と同居している。でも、どうにか希望をみようとしている事もある。神様に頼んでみる。でもそれは夢を見ないという誓いで、開ける事の難しいまぶた。二重に被せるのか、付けたくもないところにも目が開いているのか。普通の人間としている事も諦めているようにも見える。

「たこ焼き器、または便器」という連作もあり、たこ焼きがネガティブなイメージとして出てきます。たこ。というのは、何とも根も葉もない罵声で、ばか、ぼけなす、など、子どもも言わないような言葉の最後に出てくるのはあいしてる。何にも考えたくない、とにかくぐちゃぐちゃしたものが焼かれて固まっている。自暴自棄とも言える自意識の中にも、愛があることを否定できない、あまりにもむき出しな感情の連続です。

 

逆光を背中に受けて微笑んでわずかに揺らぐあなたの輪郭

同時におなじことばを発してドッペルゲンガーだったんだろう ぼくがきみの

・・・自身も、相手も、存在が揺らいでいる。逆光の微笑み。後光だろうか。神々しさすらある誰か。大切な人なのだろうけれど、微笑みかけた時に、その不確定さに気づいてしまう。

ドッペルゲンガーは、みたら死ぬとも言われている。同じ言葉を口にしただけで、自身が相手の幻影だったのかも知れない。と気がついてしまう。しかも、相手を消してしまう存在でもある。だろう。なので、それすら確実じゃない。なんの拠り所もない悲しさがあります。

 

手を振ればお別れだからめっちゃ振る 死ぬほど好きだから死なねえよ

夜になるほど狭くなっていく公園でいつまでふたりでいられるだろう

・・・めちゃくちゃな事ばかり言っているようで、切ない歌が多いです。手を振ればお別れ。当たり前の事。自分はお別れには抗えない。だから、精一杯手を振る。「必死に」など、取り繕う事はしない。ただただ、がむしゃらに、「めっちゃ」で振る。死ぬほど好き。というのは、死とは無縁な安全な世界だからこそ使える、現在的な口語だと思う。しかし、実は自身は死と隣接している事を自覚している。別れたくない。けれど、必死で別れる。修飾語に使えてしまうほど軽い命だけれど、その全てを賭して、相手を愛そうとする、すごく切実な心情を詠っているように思います。

迫りくる夜の様に、不可抗力して寄ってくる闇。その中で、必死に声をあげる、魂の歌集です。