書籍紹介ー「サイレンと犀」岡野大嗣さん

安福望さんの絵も素敵な、一冊。
短歌は読まないけれど、素敵なのでこの本は気になっていた…というお客様がいて、とても嬉しくなりました。
これはご紹介したい!

岡野大嗣さんは、『選択と削除』で第57回短歌研究新人賞次席。木下龍也さんとの共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』 も話題です。

きれいな言葉を使ってきれいにしたような町できれいにぼくは育った

裾上げを待つ ストⅡのデモ音がやけに響いているゲーセンで

ひとりだけ光って見えるワイシャツの父を吐き出す夏の改札

…すごく日常的な単語や光景。でも、暮らし系というよりは、切実に、生命に迫る方に向いている感じがします。

既製品のズボンを切る中で響く電子音。
会社から帰る父の吐き出される改札。
社会の規格やシステムの不安を匂わせつつも、ノスタルジックだったり、感傷的で、ただの社会批判には収まらない味わいにすごくリアリティを感じます。

カーテンが外へふくらみ臨月のようで中身は4年3組

理科室の三面鏡で先生がぼくを無限に殖やす四限目

宵闇にブルーハワイのベロというベロが浮かんでいる夏祭り

…子ども時代を詠んだ歌も印象的でした。学校のカーテン、よく膨らんでたなー!笑 でも、なんだか不安に感じるのは、母と子という個人じゃなくて、クラスを一絡げにして孕んでいる事。教室は、一律、平等に教育をする場で…I was bornではないですが、生まれるより、生まされる印象を受けました。

三面鏡も、あるある!なんですが 笑 先生が理科室で僕を増やす。というのが、精神的な意味で、クローンや量産を彷彿としました。

ブルーハワイで青い舌になるのは、楽しい思い出もあるけれど、食べる事、身体の色が変わる事、皆が同じ色になっている事、しかもそれを楽しんでいる事…要素が影響し合って、祭り、という、神話や異界の境界という事も重なり、何とも不安な気持ちになります。みんな妖怪にでもなったんじゃないかと思いました。

青いベロみたいに、意味を捉え直すと、ガラッと世界が変わる。その真実味。みたいな事も多く感じました。

ポケットの硬貨2枚をネクターに変えて五月の風のなか飲む

消しゴムも筆記用具であることを希望と呼んではおかしいですか

…100円玉ではなくて硬貨2枚。ジュースではなくてネクター。リアルな肌触りが続く事で、五月の風もただの状況というよりは、その時、その場だけの肌触りを感じます。そして、飲む。音が聞こえるようです。

そういう、日常の細かい引っかかりに、リアリティや生命感を感じる。消すものなのに筆記という枠に入れてもらっている事。とり零されずに拾われる事を、控えめに、おかしいですか?と、問うています。入れてあげたい!そうして救われる事が、希望なのだと思います。

つよすぎる西日を浴びてポケットというポケットに鍵を探す手

えっ、七時なのにこんなに明るいの?うん、と七時が答えれば夏

…岡野さんはこういった、細かい出来事や全てのことに、大切な事、生命に触れるものが含まれている事をとてもよく知っていて、それが自然に提示されています。ポケットの鍵を探すなんて本当に日常的な事だけれど、僕達は、普段から強い西日の様な圧力、何かに晒されていて、抜け出す鍵を探している。あらゆる手段、ポケットというポケットを活用している。手。と、倒置される事で、意のままにならない感じもしますね…ありきたりなのに、そのまま全てが比喩になるような…現実と詩的な比喩、示唆の敷居の無さにも舌を巻きました。
こんなに明るいの?あるある。多分、毎日の中で、自分の「七時感」みたいなものが出来上がっていて、気づいたら変わっているから驚くんですよね。時間を人に喩えるなんて、かなり突飛なはずなんですが、スッと、敷居なく七時が隣人になった感じがします。

安福さんのイラストも、ちょこちょこ入っていて、素敵です!
自分が美術系の人なので深掘りしてしまうんですが、日常のものや道具に、生命感や美しさを見出すというのは茶室以降すごくスタンダードな日本美術の形で…茶室には、歌や絵はいつも一緒にありましたよね。日常的なモチーフの短歌とイラスト、コンビネーション抜群だなー!とか、個人的に思いました。

装丁も素敵なので、是非是非、ご覧においで下さい〜!

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